フルート奏者 加藤 千理
Flutist Kato Chisato
フルート奏者
加藤千理 Chisato Kato
3歳からピアノ、6歳から作曲・ソルフェージュなどの音楽教育を受ける。
ラジオから流れてきた優しくキラキラと輝くフルートの音色に魅入られて、11歳よりフルートを始める。
愛知県立明和高等学校音楽科を経て、国立音楽大学フルート専攻卒業。
同大学内選抜による室内楽コンサートに出演。
フランスニース国際音楽アカデミー修了。
第15,16回日本クラシック音楽コンクール優秀賞受賞。
ヤマハ音楽振興会首都圏フルート科認定講師。
音楽ホール主催公演、百貨店ロイヤルカスタマー限定コンサート、企業の展示会・懇親会などのイベントでのコンサートに出演している。
ガルバホール登録アーティストとして、指揮者 平井秀明氏プロデュースのコンサートにも出演中。
また、結婚式や誕生日、法人パーティーなど、さまざまな瞬間をフルートやピアノの生演奏で演出している。
YouTube「加藤千理フルートチャンネル」では、クラシック・ポップス・映画音楽など、幅広い音楽ジャンルの曲を解説付きで配信。
「いつでもどこでも聴けて癒される」「解説を聞くとより音楽を楽しめる」と好評を得ている。
ヤマハ音楽振興会首都圏フルート科認定講師としては、都内4ヶ所の教室でレッスンを行っている。音楽高校・大学を目指す学生から音楽を楽しみたい大人の方まで幅広く指導にあたり、音楽普及に取り組んでいる。
「人の心に響く演奏」を追求
幼い頃からプロの演奏家を目指し、厳しいレッスンに通う。
演奏家への道は険しく、生活の大半の時間を練習に注ぎ、コンクールで受賞することもあれば、
結果を残せないこともあった。
他の奏者と比較され悔しい思いをし、次第に派手に聴こえる演奏や斬新な表現ばかりを追い求めてしまう。
「競争で勝つことより、人の心に響く演奏を目指しなさい」という師の助言から、
プロの演奏家のコンサートや美術展に何度も何度も足を運び、模索した。
愛情、情熱、光と闇、嘆きや祈りが表現された魂のこもった音色。
まるで人間の心を投影したかのような、曖昧で繊細な色彩。
それらを五感で感じて、感動で心が震える体験をしたことから、「人の心に響く演奏」を追求するようになる。
生きていると幸せ、絶望、喜び、不安…さまざまな感情を抱く瞬間がある。
日々感じたちょっとした感情でも音で表現できるように、練習を重ねていった。
プロの演奏家として初めて出演したコンサートで、
お客様が「演奏を聴いて、心の底に眠っていた感情を揺さぶられました」
と涙ながらに話してくれた。
私はこのデビューコンサートから今に至るまでずっと、
「心の底にしまっている感情に寄り添い、
つらい感情の先に光を感じられる演奏を届けたい」
という思いを胸にフルートを奏でて続けている。
「演奏を通して ” 癒しの時間 ” を提供したい」という思いの原点
演奏家を目指して音楽一筋で歩んでこられたのは、私自身が幼い頃から音楽に癒されてきたからである。
学校や社会、家庭という名の集団生活の中で、誰しもが対人関係のストレスを感じることがあるだろう。
場の空気を読んで、自分の意見は主張できず、人に合わせる。相手の表情や気持ちを考えすぎて、疲れていく・・・
私は幼い頃からそのようなストレスを感じていた。「一人になりたい」「癒されたい」 いつもそう思っていた。
そんなとき、私の心を豊かにしてくれるのは、音楽だった。
悲しいときに悲しいメロディーを聴くと、私の気持ちを音楽が代弁してくれて、普段抑えていた感情が解放される。
明るい音楽を自ら奏でると、その一瞬は現実から離れて明るい世界に浸ることができる。
音楽がいつでも私の心に寄り添ってくれた。
音楽が身近でなければ、癒しを求めて生きる日々だった。
音楽には人を癒す力があると、人生を通して確信した
大学の卒業式を控え、「これからプロの演奏家として頑張ろう!」と決意のもと、
演奏活動の準備をしていたその時、東日本大震災は起こった。
テレビはどのチャンネルも被災地の現状を伝えるニュース。
信じられない光景に唖然とした。CMも各企業が放送を自粛。
日本中が「お花見はやめておこう」「楽しみたいのに楽しめない人たちがたくさんいる」と、
被災した方の気持ちを思って自粛ムードに包まれた。
私も被災された方の気持ちを想像すると悲しみでいっぱいだった。
この自粛ムードが、自分の音楽の仕事まで失うことになるとは知らずに…。
「今は楽しいことをしてはいけない」
「被災者に寄り添おう」
自粛モードはどんどん広がり、テレビのバラエティ番組をはじめ、エンタメ業界は姿を消した。
もちろん、音楽業界も。
有名アーティストのコンサートやイベントは次々と中止になっていった。
私も出演が決まっていたコンサートやラジオ、レッスンの仕事が全て白紙となり、大学の卒業式も中止に。
切磋琢磨して頑張ってきた音大の仲間とは会えないままお別れとなった。
何もない状態で社会に放り出され、厳しい演奏家人生のスタートだった。
それでも、「被災した人に比べたら私なんて幸せな状況だ」と思うようにしていた。
そんな時、母校 明和高校音楽科の先生から連絡が入った。
「元気にしていますか?自粛ムードでコンサートが中止になっているけど、被災地の人は自粛なんて
望んでいません。今こそコンサートを開催して、日常を取り戻しませんか?
私たちの仕事は、演奏で1人でも多くの人を元気にすることです」
先生は東北出身。先生にとって大切な人が被災され、ご自身も辛い思いをされている。
それなのに、「演奏家として人のために、社会のために、何ができるか」と考えられていることに胸を打たれた。
私は「コンサートを開催して、気持ちが沈んでいる人たちが元気になれるような、力強い演奏を届けたいです」と返事をした。
震災が起きて以来、久しぶりのコンサート。
特別な想いをもってステージに上がった。
自粛明け、会場はどことなく固い雰囲気だった。
しかし演奏がはじまると、だんだんとお客様の表情は穏やかになっていった。
お客様からの盛大な拍手に、
「音楽は心を癒し、元気づけてくれる。
演奏を通して、私たちの想いはきっと伝わった」と感じた。
このコンサートを経て、「もっと人の心の奥底にある感情を代弁するような表現力を身に付けて、人の気持ちに寄り添う演奏をしたい」と思い、表現力豊かな師匠がいるフランスへ短期留学した。
留学中、外国の方々に「日本は大丈夫?津波大変だったね。みんな心を痛めているし、日本を応援しているよ」と声をかけてもらい、人の優しさに触れ、涙が出た。
これらの経験から、
「優しさを音にして、多くの人に届けよう。
自分が奏でる音楽で、癒しの時間を提供したい。
演奏家として生きていくならば、演奏を通して人の心を癒すことが使命だ」
と強く感じた。
音楽には人を癒す力がある。
私は自分の人生を通してそう確信している。